【大谷口の家】オーナーインタビュー

2世帯住宅として暮らした生家、 両親の他界後どうするか悩んでいたタイミングで…

東京メトロ有楽町線・副都心線「千川」駅と「小竹向原」駅の中間付近に広がる板橋区大谷口(おおやぐち)。昔ながらの戸建やアパートが立ち並ぶ閑静な住宅街の一角に、塀で囲われたL 字型の戸建が佇んでいます。

この家は、お隣に住むオーナー様が生まれ育った家。一見するとごく普通の戸建ですが、祖父母の代からライフサイクルに合わせて家のかたちも住まい方も変化してきたといいます。

オーナーのI様に、そのユニークな変遷とこれからについてお聞きしました。

この家をカリアゲで改修した経緯をお教えください

I様

この家はもともと、祖父母と両親と私の5人で住んでいました。1階部分は戦後すぐに建てたもので、築70年ぐらいになります。もとから2階建てでしたが、私が中学2年生ぐらいの頃に2世帯住宅にするために2階を一度壊し、作り直しました。今ある2階は、1階をそのまま残して周りに鉄骨を立て、1階をまるごと上から覆うようなかたちで建っています。

1階部分が築70年だというとみなさん驚かれますが、そんなふうに周りをすっぽり覆ったおかげで、それだけ古くても雨漏りもしませんし、地震でもびくともしません。

改築後は両親と私が2階、祖父母が1階で暮らし、私が結婚して隣に家を建ててからは、両親が暮らしていました。

その後、両親が他界し、この家をどうしようと思い悩んでいたときに、たまたま見ていたテレビニュース番組でカリアゲを知ったのです。見た瞬間に「これはいいかも!」と思い、すぐにご連絡しました。

特にどんな点に魅力をお感じになったのでしょうか

I様

まずはまったく借金をせずに改修できるということ。ただ空き家にしておくよりも人が住んでくれていたほうがいいと思っていましたが、家を貸し出すことを考えると、あちこちかなり修理をしないといけないというのが悩みでした。

また、最初の6年間のカリアゲ契約中、オーナーの家賃収入は賃料の1割、というしくみですが、逆にそこが私にとっては好都合だったのです。

というのも、この家は私の名義なので、収入が発生すると私が主人の扶養から外れないといけない。当時、主人は現役でバリバリ働いていたので、私はそのまま扶養家族でいたかったんですね。

そしてちょうど6年後は主人が定年を迎える年齢になるので、その時点でまたこの家をどうするか考えればいいと。

今思えば、偶然見たテレビニュースはまさにベストタイミングでした。

契約するにあたって、不安や迷いはなかったですか?

I様

ありませんでした。何よりも、代表の福井さんの「古いものを何でも壊して新しくするよりも、それをリユースしていかによくしていくか」という考えかたにとても共感したんですね。

周囲からは「取り壊してアパートにしたら?」という声もありましたが、私自身はほぼ直感で「これにしよう!」と決めました。福井さんに実際にお会いしてお話を聞いたり、ルーヴィスさんが手がけた他の物件を見させていただいたりして、とてもいいシステムだと思いましたし、いつも本当に親身になっていただきました。

合理主義の父が考えた間取りは、現代にマッチする理想的空間だった

ダイニングルームは右奥のキッチン、左側の洋室と繋がっている。
ダイニングルームは右奥のキッチン、左側の洋室と繋がっている。
オーナー様の自室だった洋室。出入りにはダイニングを必ず通る間取りになっている。
オーナー様の自室だった洋室。出入りにはダイニングを必ず通る間取りになっている。

改修前と改修後はどのように変わりましたか

I様

改修は2階のみで、間取りはほとんど変わっていません。

もともと父親がとても合理的な人で、廊下を設けるとそれだけ部屋が狭くなると考え、廊下は通さなかったのです。それぞれの部屋はダイニングと直接つながっていましたし、2室の和室も引き戸を開け放てばひと続きになる造りでした。家具も極力少なくしたいという考えでしたので、ダイニングと和室には造作棚がありました。改修ではそれもそのまま生かしていただきました。

ちなみに、私の部屋はダイニングの奥の洋室だったのですが、10代の頃は、ダイニングを通らなければ自室に行けないのがとても嫌でしたね。両親はわざとそういう造りにしたようですが(苦笑)。

2室の和室のあいだの仕切りを取り去り、開放的なリビングルームに。造作棚はそのまま生かされている。
I様

改修で変わったところは、畳敷きだった2室の和室がフローリングの広いリビングルームになり、押し入れがウォークインクローゼットになったこと、そして洗濯機置き場を新たに作っていただいたぐらいですね。素敵に仕上げていただきましたし、とても使いやすくなったと思います。

募集開始後、すぐ入居者が決まりました。カップルで入居されてお子様も生まれ、計6年間住んでくださいましたが、この間取りが気に入って、お引越し先のマンションもここに近い間取りにされたそうです。

1階はどのようにお使いになっているのですか?

I様

漫画家をしている息子が仕事場として使っています。主に夜中に仕事をしていて、寝るときは隣の我が家で寝ているので、ちょうど生活パターンが真逆で、上の階の生活音が気になるということもほとんどないんですね。扉を閉める音が時々するのも、逆に両親が住んでいたときと同じ音ですし、逆に人の気配がするほうが心地がいいようです。

一度は取り壊してアパートにすることを決意するも直前に撤回、そしてさらに新たな展開が

6年間のカリアゲ契約終了時に、次はどうしようと考えられましたか?

I様

実はそのタイミングで、取り壊してアパートを建てようかと考えて数社と話をし、そのうちの1社と契約までしたのです。でも、どうしてもしっくりこなくて。

アパート経営というと、何千万円かかけて建てて、それを家賃で長い年数で回収して、そのあいだに老朽化していくのをあちこち修理して、古くなって借り手がつかなくなっていって、また壊して…。

そんなふうに、その時々でいろんな問題に直面したり、自分の思いと違う方向に行ってしまうこともあるのではないか、と考えると、とてもストレスに感じてしまって(笑)。

それで、ギリギリのところで「やっぱりやめます!」と撤回しました。

引き続きルーヴィスさんに管理をお願いして賃貸することにしましたが、年齢とともに、今度は今住んでいる家が、だんだんと住みづらく感じるようになってきたんですね。

というのも、3階建でリビングダイニングが3階なので、たくさん買い物してくると、3階まで運ぶのがひと苦労なのです。また、洗濯機が1階で物干し場が3階なので、濡れた洗濯物を上まで運ぶのもつらくなってきました。

さらに、今の家も亡き父の合理的なアドバイス(笑)に従って建てたのですが、「回り階段は場所を取ってもったいない」と言われて鉄砲階段にしたのです。これが上るのにかなりしんどくて。

そんなこんなで、今の入居者さんが退去された後は、こちらの家に戻ろうということになりました。

生まれ育った家にまた戻られるのですね。では現在お住まいになっている家は?

I様

これがまた絶妙なタイミングで、いとこがこの付近に引っ越してきたい、と、物件を探していたのです。

実は隣が叔父叔母の家なのですが、そこで生まれ育ったいとこが、結婚後、しばらく千葉に移り住んでいました。そして最近、「子どものひとりが中学に上がるタイミングでこちらに戻ってきたい、でも実家は手狭だ、どこか近くにいい賃貸物件はないだろうか」と相談されたのです。

「じゃあ、うちに住む?」となって。

いとこは実家のすぐ隣に戻ってきて、私は生家でまた暮らし、どちらの家も壊さずに引き続き住み継いでいける。

それもこれも、10年ほど前にたまたまテレビでカリアゲのニュースを見なかったら、こんな展開にはならなかったですよね。

自分の直感を信じてこの家を残して、本当によかったと思っています。

生まれ育った家と結婚後から長く暮らした家、その両方にこれからもご家族やご親族の思い出が積み重ねられていく。

それは、家にとっても人にとっても、幸せな未来であるに違いありません。

 

I様、貴重なお話をありがとうございました。

interview_吉田タカコ